他人の幸せをどうとらえるか

そんなことを考えて眠れない丑三つ時。
本来ならば、他人の幸せを見たら素直に喜べる性格なはずなのに、最近は妬みや文句で心が落ち着かず。
相棒もいる、住むところもある、粗食ながらも飯も食えてる。
でも満たされない何かが心の大半をしめている。
確かに仕事でやり残していることは多数。そんな生活。

小生は思うに、自分自身が満たされていないのに、他人の幸せを理解出来るはずがないのではないだろうか。スポーツでいうフェアプレイの後の握手みたいなもので、やりきった選手ならばお互いをたたえることが出来るだろう。でも、他人の幸せな姿を見て、頑張っていない自分がいたらどうだろう?

一問一答であるならば、今の小生はこう答える

問:他人の幸せを目の当たりにして、お前はどう思う?

答:「今の自分を全力で生きたいと思います。」

全力で生きているならそれは評価出来るわけです。当然自分自身、自己評価ですが。疚(やま)しいところがなければ、他人の幸せに妬みや文句は出ないわけです。
悔しいなら、もっと努力をするべきだと自分が一番わかっているのではないのでしょうか?
成功してなくて報われてないなんて思ってはいけません。他人の評価なんて関係無し。
だって、世の中で成功したという人は、有名になったら親戚が増えるというではないですか。親戚だって甘い匂いに誘われてくるわけで、特に何かしてくれない人の方が評価をするものです。アピールのために。

去る者は追わず、来る者拒まず

有名な禅宗のことばですが、者は物事にも置き換えられるはずです。時流には逆らえません。他人の成功が先に来ることなんて当然ありえることです。いちいち妬んでいたのでは、自分のモチベーション*1も失せるというものです。

書き込んだら急に冷静になってきた。
頑張るぞ!今から(オィ!)
↑確かに「明日やる」というのは逃げですね。そんなことを言って成功した人は見たことがありません。著名人ではという話ですが。

って何様だ?小生は。
いいんです、自分が納得すれば。
自分の日記なんですから。

ひとに優しくするには、まずは自分が満たされてからにしましょう。
でないと、偽善ですね。いつかは崩壊します。

*1:ヤル気