追い詰められた時に思い出すのは、父との思い出

幼少の頃から、追い詰められた時にはいつも父との会話を思い出します。決まって一番最初に思い浮かぶのが『雅之、兄弟欲しくないか?』と言われた場面。その時は四歳になったばかりで一人っ子生活を満喫している小生に何を言ってるんだ?という感じでした。二日間考えて『お兄ちゃんが欲しい』と答えたのを覚えていますが、愛人の子どもでもいなければそんな事は不可能なわけで、最終的には『弟なら』と妥協したわけです。今思えば、いつも孤独だった小生への気遣いから出た父の提案だったと思います。が、小生としては『同志が欲しかった』というよりは『被害を分散する影武者』が欲しかったという思惑がありました。それくらい家庭環境が悪かったわけです。
仲が悪かったのは、同居していた家族と、横浜に住んでいた親戚。この間にいつも立たされていた小生だったので、子どもながらに人間に不信感があって、その矛先は常に外部の人間でした。小生は長男と言う事でかなり恵まれた環境ではあったんですけどね、親戚の家では。同居する家族からすると気に入らなかったようで、家に帰ると嫌な空気が流れていました。こんな感じだったので、友だちもほぼ全滅状態で、数人の女の子くらいしか友だちがいなかった感じです。当然親としては心配でしょうね。


実は今月に入ってからも追い詰められていて、次のステップに進むか、現状維持かで悩んでいます。もう三十路も半ばに差し掛かる歳なので、次のステップに進みたいんですが……来月の生活もあるわけで、納得の行く仕事が決まるまでには最低でも三週間程度かかるので、かなり悩んでいます。

横浜の家に戻れれば体勢を整えて出直せるんですけどね。先日親戚にした電話では嫌がられてるような感じだったので、家賃やら、食費やらを考えると、どーしょもない仕事を選んでしまうしかないかも知れません。こんな人生を繰り返してたら、マジで早死にしそうです。自分の子どもでなければこんなもんかもしれませんが。借りはいっぱいあるので、それを清算していない小生も悪いんですけどね。

ただ、今思えば、『長男だから、将来はこの家に……』。幼少期からこんな甘い言葉にのせられた小生は馬鹿でしたね。そんな甘い言葉を言ってた人は三分の二が亡くなってしまってますし、現実的に考えたら、無条件であるハズもなく。横浜の家を一番に考えていた小生は本当に馬鹿だったと思います。もし実家を大切にしていたら父を若くして死なせなかったかも知れなかったですし。

チャンスを殺されてしまうこの現状はやりきれない感じですが、仕事の回答は恐らく三週間後。それまでの間は集中しないといけなくて動けないので、とりあえず少ない貯金を何とかやりくりして、やってみるつもりです。入院がなければ今回は何とかなるでしょう。たぶん。


『ひとつ屋根の下、何世代かで和気藹々な生活』……友だちが少なかった小生は、小さい頃からこう思ってきましたが、家族がそれを望まないのであれば、正直難しいですね。結局のところ家族を忘れて、新しい地で理想の生活をするしかないのかも知れないです。

『いつでも戻って来い』という父や祖父の言葉は嘘だったというショックを忘れようと、ここ最近仕事に励んでいます。何のために生まれてきたんだろう。家族なんて、所詮他人の集まりだってわかってはいたんだけどな。実際にガードされちゃうと、正直凹みます。信頼していた家族のひとりだったし。

大人になってしまった小生としては、自分のケツは自分で拭くしかないわけで、とにかく頑張らなきゃね。オヤジはもうこの世にいないんだし。